創作の果てに [ペン画制作の記録]

線描画(ペン画)作家・松野ちり子の創作活動の記録です

創作の記録vol.4 細くてもしなやかな芯

制作に対する信念や取り組む姿勢の事を文字だけで読んでいると、私のことをすごく頑固な重鎮か怖い人間だと勘違いされる事があるのですが、実物に会って話したら安心する方が多いです。

私は普段は結構ゆるい人間だからです(*´ω`*)

(ゆる過ぎて期待ハズレだったら…ごめんなさい)

多分のんびりマイペースな人だなという印象になると思います。

 

以前も「生徒さんに対しては楽しさ優先」と話したように、私は普段から自分への厳格さを表には出しません。

私は自分のこだわりが非常に強く、内面的な感情も精神も強いことを良く理解しているつもりです。

もし同じようにこだわる人が居るとしても、それは私と同じように道を極めようとするアーティストや職人のような人たちだろうと思います。

自分の制作に対するエネルギーをそのまま外へ放出すると時に他者を驚かせたり傷つけてしまう事もあると良く分かっています。

ですので、今まで話した内面的なこだわりや物事に対するエネルギーは、なるべく表には出さずに自分自身を動かすための原動力にだけ使うように常に心掛けています。

 

 

ただ絵を描いているだけなら幸せなのですが、創作活動をするとなると辛いことや辞める理由になるようなことは常に起こります。

それは自分自身の能力の問題だったり、外的な要因だったりしますが、辛いことや辞める理由を跳ね除けて創作活動を続けていくには強い芯が必要になってきます。

 

主体的に行動を決めていくことは勿論大事なのですが、利己的になり過ぎずに…でも自分の譲れない大事なものを守り突き詰めて行くために、頑丈で全く揺れない巨木のような図太い芯はむしろ足枷になるのでは無いか?といつも考えていました。

私は自分が進むべき道を脇目も振らずにひたすら真っ直ぐ突き進みたい訳ではなく、時々寄り道もしながら行くべき方向をその都度見極めて柔軟に進みたいのです。

そのためには巨木のような揺るぎない芯より、竹のようにいくら揺れても折れない「細くてもしなやかな芯」が必要だと感じました。

 

厳しさの中に優しさを、こだわりの中にも柔軟性を、追い込むと見せかけて適度なところで「まあいいか」の精神…加減がとても難しくはあるのですが、自分の感情をコントロールして長続きするための工夫です。

 

 

こんな私も最初の頃はとても完璧主義でした。

1本でも気に入らない線を描いてしまったら、途中まで描いていた作品を破り捨てることもありました。

自分が失敗だと思った線をそのままそこに存在させておくことが許せなかったのです。

 

しかし「失敗」は本当にそこに存在するのでしょうか?
(禅問答ような話になってしまいますが…)

全体を相対的に見て、そこに描かれた線が必然になるように自分のその後の行動を変えたらどうなるでしょうか?

正しさは結局自分の中にしかないのです。完璧を決めたのは誰か?と問われると、それは自分自身なのです。

自分自身が不完全で未熟な存在であるにも関わらず、そんな自分が決めた完璧が本当に価値あるものになり得るだろうか?という疑問がずっと引っ掛かっていました。

自分が完璧と決めたものはむしろ、それ以上成長も変化ないツマラナイものに成り果てるのではないか?と。

 

それで私は完璧主義を捨てました。

見切り発車で制作を始めて、目の前に起こったことを受け入れて、それを生かして次を柔軟に変えて行く制作方法に徐々に変化していきました。

不思議とその方が、自分が本当に求めていた作品に近づけたのです。

そこに起こる全てを、あるべき様に…その場に収めていくような描き方が私の本筋になりました。「森のような絵が描きたい」と考えたのも、完璧主義を捨てたからだと思います。

 

私が完璧主義のままだったら、ペン画教室もやっていなかったかも知れません。

楽しく絵を描くという事も出来ていなかったのかも知れません。

↑この作品は私がまだ完璧主義を捨て切れていなかった頃の作品です。正確かも知れませんが、線が固く多様性が乏しいかなと思います。

目の描き方も現在の描き方とは違います。現在は目をかなり創作しているので、この頃の絵は今の絵に比べて目力はあまりないような気がします。